
私は子供の頃に見た父の後姿から・・・気づいたら工業関係の学校に進学していました。
その後大手ゼネコンで働くも、父の背中を追い、23歳で関建築に入社を決定しました。
父のその姿を見て育った私は、当初、父を超えられないのではないかという不安がありました。
・・・しかし私には頼もしい人間がいました。兄でもあり、社長でもある、関正人です。“2人で力を合わせて父を超えよう”と、兄にはないものを私が、私にはないものを兄が補い合い切磋琢磨することを共に決意しました。
関建築での仕事はゼネコンで働いていたときと違い、直接お客様の顔を見てする仕事ばかりでした。この喜びを知り、出来るだけお客様のご要望・夢・希望を叶える為にコミュニケーションをたくさんとりたい、と思うようになりました。
そこでお打ち合わせの中では生活スタイルから家族構成、将来設計から趣味、最近の出来事…など、できるだけたくさんのことを話し、笑い、たくさんのコミュニケーションをとり、お客様のご要望をしっかりと理解した上で、さらに建築士としての味付けをしたご提案をする・・・
“お客様と共に夢の一軒家を創り上げる”という家づくりをすることを目標としています。
さらに、関建築の関浩二、個人としては、お客様だけでなく、地元の人から日本中の人まで、とにかくたくさんの人と出会い、さらに視野を広げられるよう活動もしています。
たくさんの人と出会い、そして自分が成長していくことで、また、お客様にその知識を還元できると考え、昼間は仕事、夜は講習や研修に参加しています。
こういった、人と出会う喜びを噛みしめ、関建築が地元で愛され、頼られる会社であるように私たちは日々努力する次第です。

関建築は創業40年になります。父の代から会社を受け継ぎ、新築だけでなく、小さな修理から大きなリフォームまでどんなことでもお力添えになりたいと、私たちも日々努力しています。
私がこの建築業界に最初に足を踏み入れたのは関建築ではありませんでした。
名古屋の設計事務所で数年間働き、設計や建築業界の事を徹底的に学びました。しかし、当時私が働いていた設計事務所での仕事は、直接お客様のお顔を見てする仕事ではありませんでした…。
その後地元に戻り、関建築へ。設計事務所で働いていた時と大きく違うのは、直接お客様のお顔を見て仕事ができる喜びの大きさに加えて、地元の人の温かみを感じる嬉しさでした。
私はその時思いました。
地元密着の企業としてできる事は、お客様に、いつも私たちがそばにいる安心感を持っていただくということ・・・・。そう、心の通うお付き合いが出来ることが私たちの使命だと考えております。
大工たちが揃う関建築ですが、私たちが作るのは家だけではありません。家づくりを通して街づくり、さらには人と人との関係を創りあげていきたい・・そう思うようになったのも、この関建築に戻り、人の温かみを知ったからこそです。
大手ハウスメーカーさんと違って関建築は地元の小さな工務店。しかし、お客様を想う気持ちと大工のなす技には絶対的な自信があります。
この東浦町、阿久比町を中心とし、地元でしっかり根付いた家づくりをし続け、いつでも親切で、いつでも丁寧で、いつでもアフターフォローをしっかりして、そうやってお客様のお力添えをし続けることで、その私たちの想いが地元のお客様に少しでも通じていただければ・・・・と思います。
お客様にとって一番近い存在の建築屋であり続けることが関建築の一番の喜びです。