2011.11.02
冬物衣料等支援物資輸送報告③
冬物衣料等支援物資輸送報告③
③10/31
大川小学校を出て、雄勝地区へ向かいました。山道を通り抜け下った先が雄勝地区です。
突き当りには看板が立っていました。
「全国の皆様ありがとうございます」「おがつ ふっかつ ぜったい勝つ!!」雄勝中学校の生徒・職員による看板でした。
そこからの光景は凄いものがありました。
仙台市に近い地区ではかなり片づけが終わり、がれきの山も少なくなっていたのですが、ここの道路は片づけられていますが、被害を受けた建物がまだそのままの状態で残っています。市営住宅だったのでしょうか長屋続きの2階建ての建物もまだ手つかずです。
海沿いの以前のメイン道路を走行しながら、雄勝支所に到着しました。
2階建てのプレハブが2棟完成間際で工事されています。
11/19(土)に、仮設商店街の復興祭をとり行うとよりおさんから説明を受けました。
2階部分には、雄勝の名産品の雄勝すずり協会と観光協会・商工会が入ります。
現在、復興祭に間に合うように商店等に協力を要請しているようですが、人口が1/4の1000人となり、高齢者の多い地域での再建に商店主も出店を検討しているようです。
その後、仮設住宅が建設された森林組合へ向かいました。
私たちが到着時に、すでに宅配のトラックが1台ありました。どこからかの支援物資の配布があったようで、仮設住宅に住む方々が手に袋をさげて戻っていきます。
急きょ、別の水原地区の仮設住宅に向かうことになりました。車で10分程度、こちも小高い丘の上に6棟仮設住宅が並んでいます。
仙台の青年部のハイエースの荷物をバケツリレーのように手渡しで降ろしました。仮置き場の集会場にみるみる間に段ボウル箱の山ができます。
続いて私の車からの荷卸しです。圧縮袋の荷物はかなりの重量があります。
全てを降ろし終えた後に、礼服とモーニングの件を相談しました。
そしたら「だれかが結婚すればええな~」と明るく答えてくれました。「復興祭でよりおさんが着てください。」と私からもお願いしておきました。
十分すぎる量の物資が届いたのですが、あまったら他の仮設に持っていくから大丈夫だよ。復興祭のフリーマーケットでも使うからと言っていただけたので、気持ちも少し軽くなりました。高齢者向けの衣類を中心に集めていたのですが、子供服も混じってありました。おばあさんから、今まで子供の服がなくて困っていた。あ~良かった~。と言われた時、被災地の細かい要望まで届いていないことを痛感しました。
ナカセ農園さんから提供していただいたミニトマト5箱にナカセさんの奥様の写真をつけて手渡しました。帰宅後ナカセさんへお礼の報告に伺うと、この仮設住宅にも知り合いがいたようでした。元気になるミニトマト。みなさん喜んでくれたと思います。
最後に、よりおさんからお礼のあいさつがありました。お茶でも飲んでってもらいたいのだけど・・・。
逆に気をつかわせてしまい申し訳ございませんでした。
12時ちょうどに仮設住宅を出発しました。ナビで自宅に帰るとルート検索をすると798km 到着予定時間 23:45と表示されました。
今日中の帰宅が目標になりました。
行きに合流した道の駅に立ち寄り、昼食とお土産を購入し、ガソリンも満タンにしました。
ここからは、ひたすら走るのみです。
18時東京に入りました。予想通り首都高で渋滞です。1時間以上かかり通過。
20時蛯名SAで夕食です。同行した加藤君に電話すると、すでに帰宅していました。
こちらは残り300km やんなりましたが、文句も言ってられません。女房と交代しつつひたすら東名高速をひた走ります。
前回の6月の時は、土日高速1000円の最終日と重なり大渋滞を経験しました。今回は渋滞もなく走れたのですが、前回よりも100km以上余分に走っています。
日も短く疲れも出てきます。子供達もおとなしく寝ていてくれたのが救いでした。
24:50 やっと東浦IC到着。料金所で窓を開けると牛の匂い。あ~東浦に帰ってきたんだ~と不思議な実感。
前回は、仙台からの経路が書かれた紙を料金所で渡したので、係の人の「お疲れ様でした」の一言がすごく嬉しかったのですが、今回は事務的に「はい、どうぞ」と ちょっとガックリでした。
地震には2回遭いましたが、事故もなく、けがもなく無事25時帰宅です。
まとめに続く