2012.03.13
2012.3.11 no.4
2012.3.11 no.4
<NO.4>
2012.3.11 静かに朝を迎えました。(少々2日酔い?)
頼雄さんは、仕事等の関係で8時前に出勤されました。
頼雄さんのお母さんも喪服に着替え準備されています。今日は雄勝地区で3会場合同慰霊祭が行われるそうです。
8:30 お母さんにお礼を言い、出発。
仮設商店街の硯組合事務所にて、頼雄さんにもお礼を言いました。
(大学より苗の提供があり、お母さん達が雄勝石を使い植栽されました。)
(雄勝の入口の看板。)
(雄勝の大きな硯を使う予定です。)
今日は、どこにいても邪魔になると思い、宮城観光をすることに決めました。
道の駅でお土産を買いたいと子供達が言うので、私は15分間で隣の温泉に入ってきました。9時の開店だったのですが、中にはたくさんの方が入浴されています。
その後、松島へ向かいました。
5回目の仙台・宮城だったのですが、松島に行くのは初めてです。
遊覧船にのり、松島観光をしました。
松島は複数の島があり、津波の影響が少なかった地域です。外国人の方や多くの観光客でにぎわっていました。が、きっと以前のにぎわいには程遠いのでしょう。
お土産屋さんで、「仙臺四朗」ののぼりを見つけ入店。
今回の自分自身のお土産は「仙臺四朗」の人形と決めていました。
値段を見てびっくり。正直迷いましたが、「仙臺四朗」の御利益を受けれるのならと思い切って購入。
その後、牡蠣小屋に行くも休業中。通ってきた道を戻り途中見かけたお店で牡蠣を食べました。
津波の影響で収穫量が少なく、ほたて・牡蠣・ホヤなどが本格的に養殖品が出回るのはあと2・3年かかるようです。
松島のマリンピア水族館か迷いましたが、今回も青葉城に向かいました。
途中、寄り道して、大久保さんの会社へ。
ちょうど1年前に震災が起きた時刻だったため、テレビでは黙とうに続き天皇陛下のお言葉が流れていました。
大久保くんにもお礼をのべ、青葉城へ。(ここは4回目)
その後、仙台駅に甥っ子を送り、仙台空港へ。
帰りも飛行機の出発が遅れ、到着も遅れ、22時無事自宅に帰宅できました。
お世話になった高橋さんへお礼の「ミニトマト」を送るから手紙を書きなさいと甥っ子と息子に伝えたところ2人とも素直に手紙を書きました。
自分の目で、耳で、五感全てで、震災や津波の傷跡を感じ、また、力強く復興に取り組む人たちに会え、共感することが出来たのは、私を含め良い人生勉強だったと思います。
迷ってなく、行動出来たことに感謝です。また、それをサポートしていただいた方に感謝です。
一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。