関浩二のブログ「家いろいろ」BLOG

2011.06.17

復興支援に至るまで。

復興支援に至るまで。


 311日。翌日に41歳の誕生日を迎えた私は複雑な気持ちでした。


この状況の中で私が出来る事は一体何なんだろう。


東北の友人の安否も気になり、不安な気持ちでした。被災している友人に電話をすることも迷惑になるのではと想い、何も出来ない、何もしない無力さを痛感していました。


 そんな折、MIXIでの仙台の友人<クボ>さんの日記が記載されました。クボさんの日記には、TVでは伝えられない被災地の生の声が記されていました。


やがて被災していない地域では、1週間も過ぎた頃には普通の日常生活が戻ってきました。


ただ、クボさんの日記には、情報が入るにつれ刻々と変わる避難所の様子や地震や津波発生時の心情などが痛いくらいに伝わってきました。


「被災地を風化させてはいけない」そんな想いから私のブログを通しクボさんの日記の転載が始まりました。


 


3月の終わりに家族旅行を計画していました。旅行を取りやめ義援金として寄付しようかとも考えました。しかし、被災していない地域の人まで全て自粛してまっては日本の経済がダメになってしまうと思い直し旅行を決行しました。


 それでもやはり後ろめたい気持ちは捨てきれず、クボさんへ私のへそくりより「見舞金」を郵便書留にて送り届けました。


 旅行先の沖縄では、友と久しぶりの再会を果たせました。沖縄でも旅行者のキャンセルが相次ぎ、御土産屋など悲鳴をあげていると話がでました。


 旅行から帰ると、クボさんより「見舞金」を避難所の発電機の購入にあてるため、福島まで買い出しに出かけ、南三陸の2つの避難所に届け明りが灯ったと連絡がありました。


 


 震災後、武豊町の商工会がいち早く義援金と支援物資活動を始めました。


武豊の青年部は、昨年仙台へ研修旅行に出かけており、その際に私から仙台のクボさんへコーディネートを依頼した経緯もあり、TV放映での現地の悲惨な状況に居ても立っても居られない想いだったのでしょう。トラック2台にて避難所へ物資の運搬をした際に、偶然にもクボさんのお店の前を通過したトラックに気づき、嬉しかったと連絡をもらいました。


 


 その後、武豊の議員より5月の連休を利用し、知多半島の市町議会議員の有志が被災地視察に出かけたいので、どなたか紹介してほしいと依頼がありました。クボさんに連絡をとり仙台市議会議員を紹介してもらうことにしました。こんなことまで地震の被災者でもある友人に頼むのは心苦しかったですが、逆に議員団の熱意に感心され、JA宮城の専務理事も加わってもらえたようで、一般には立ち入れない区域まで視察でき、農業被害についても説明をうけ大変有意義な時間だったと言ってもらえたので、私の気持ちは救われましたが、お店の復旧の邪魔をしたのは間違えありません。


 またもや、武豊の先輩でライオンズクラブのチャリティーゴルフの景品を東北の物産品でそろえたいと相談がありました。実はクボさんの家業はギフトショップだったので、すぐに相談。10日ばかりの間に予定数量をきちっとそろえて発送してくれました。ゴルフの大会でも評判が良かったようです。実は復興し始めた企業をまわり、理由を話し、時には専務に直談判をしてギフトを揃えてくれたようです。


 


何度となくクボさんと連絡を取り合う中で、夏物衣料で特に高齢者向けの物の要望が避難所より出ていると話がでました。


東浦町商工会を通して活動しようかとも考えましたが、個人で動いた方が柔軟に素早く動けると思い、商工会には応援してもらう程度にしました。


会社で行っている「建築無料相談会」のチラシの半分を使い、支援物資の呼びかけを行いました。東浦町と阿久比町のそれぞれ1回新聞の朝刊にチラシを折り込みました。


東浦では商工会の青年部OB会と石浜地区総会の時にもお願いさせていただきました。


 


 その頃、全国の商工会青年部OBの有志による「PRAY  FOR JAPAN  T-shirts  PROJECT 」 こと「復興支援Tシャツ」の活動が始まりました。


私は愛知県の取りまとめ役をお願いされました。こちらの活動では、愛知県青連の総会時にPRさせてもらい、6/15時点で、愛知県で200着 全国で2500着を超える注文があり、義援金で要望のあった「軽トラック」を6/15に宮城県へ届けられました。


 


 私の夏物衣料も5月末で多くの商品が届きました。1日でも早く避難所へ届けたいと考えていましたが、父親の1周忌法要などもあり、6/17(金)の出発となりました。


この日は息子の誕生日でもあります。被災地の状況を是非子供達にも見せておきたいと考え、今回の物資輸送は家族で行くことにしました。長距離運転が苦手な私は太平洋フェリーで仙台に行き、帰りは高速道路にて帰ることにしました。


東浦役場でも、支援物資の輸送ということで、高速料金の無償の支援をしてくれました。


支援物資の届け先の「みやぎ仙台商工会」へ、土曜日の夜到着するため、クボさんの倉庫へ仮置きする予定にしています。その夜はクボさんの家族と会食後、青年部員さんとの交流も計画してくれているようです。


今回の活動を通して多くの方にご支援ご協力を頂きました。みなさんの何かしたい。でもどうしてよいかわからない。そんな方の想いも一緒に届けて来たいと思います。


個人での活動には、やはり力不足を感じました。


でも、今の自分に出来る事 それは 「最初の1歩を踏み出すこと」


今回の活動を終えたとき、きっと次への道が開けるでしょう。