2011.11.01
冬物衣料等支援物資輸送報告①
冬物衣料等支援物資輸送報告①
今回の宮城県石巻市雄勝地区への冬物衣料等支援物資の報告です。
「冬物衣料等支援物資輸送報告」
H23年11月1日
今回は、冬物衣料等を宮城県石巻市雄勝地区の仮設住宅へ届けました。
今回の活動の発端は、6月に行った夏物衣料等の支援物資の輸送の際に、夏物衣料を提供していただいた方より「冬物衣料の提供出来るものがありますが集めてみえませんか?」という1本の電話からでした。 私の中では何も考えていませんでしたが、被災した地域への長期的な支援という言葉を思い出し、さっそく仙台の友人へ問い合わせてみました。
避難所から仮設住宅に移り、それぞれ自立した再建に向けて歩みだしている中で、個々の要望も細分化してきて、何が欲しいと一概に言えない状況であることや、仮設住宅から移動の手段がなく買い物が出来ない高齢者が多いことなどの話が出ました。
高齢者向けの冬物衣料なら受け入れられると話が出ました。
だんだんと寒くなる季節、仮設住宅では完成を急ぐあまり、十分な寒さ対策がとられていないなどの報道もされていました。火災をおこすことのない安全な湯たんぽに要望があると情報も流れました。
私が動くことに期待をしてくれている人がいる。喜んでもらえる人がいる。
「じゃー また やるかー!」と決めてからは、一気に活動を開始しました。
前回が6月17日の長男の誕生日に出航したので、今回は娘の誕生日(10/29)に行こうなどと思っていると、偶然にも学校行事の関係で、10/31(月)が振替休日に。おまけに太平洋フェリーが「いしかり」の就航。震災日に稼働したフェリーでした。
これは偶然ではなく必然なのだと確信しました。
さっそく東浦の相談会のチラシを書き直し、支援要請の文章を入れました。冬物と夏物の入れ替えの時期と重なり、多くの冬物衣料が届けられました。中には衣装ケース6箱提供していただける方もみえ、チェックせずに受け入れました。その中には礼服の夏冬物とモーニングの夏冬物もありました。これには頭を悩ませました。一応積み込んで、現地の判断を伺うことで対応しよう。ダメなら持ち帰ればいいと。
冬物衣料はかさばる物が多く、点数の割には体積をとります。自宅の8畳の和室に分別しながら広げていたのですが、あまりの量の多さに途中受け入れを中断しました。布団用の圧縮袋にて仕分けた物を入れ、圧縮することで体積も1/3程度になりました。
車に積込んでみるとまだ隙間があります。そこで2回目の阿久比の相談会では、「湯たんぽ」と「カイロ」に限定し、チラシを2万枚折り込みました。
今度は、冬物衣料の時ほど反応は良くありませんでした。でも、家に備蓄しているカイロを提供し、新たに自分の家の備蓄分を買い直すと言って、段ボウル1箱のカイロを提供していただいた方の気持ちに救われました。
私自身を知っている方からも応援の言葉と共にいろいろな物資の提供をしていただきました。お金は赤十字などに寄付はしているけど、直接必要な方に届けてくれるのならと、ガソリン代の足しにしてと言われ、寸志としても応援をいただきました。
車一杯の荷物と想いをのせて10/29名古屋港を19時出航しました。
レストランでささやかに娘の誕生日を祝いました。
翌30日、16:30仙台港に到着。まだ港には護岸に乗り上げられた大きな船が残っていました。でも、火花が散っています。解体作業が始まったようでした。仙台港の周りは前回よりもガレキの山が少なくなっていました。
港から車を降ろし、仙台の友人に電話すると、愛知の東郷町から来た加藤君(現県青連理事)が私を出迎えてくれました。加藤君は私のスケジュールと合わせ地区で物資を集め同行するために飛行機で来ていたのです。
友人と再会後、今夜お世話になる「さとや旅館」さんへ向かいました。
熱い前夜祭の始まりです。
つづく