関浩二のブログ「家いろいろ」BLOG

2012.03.13

2012.3.10 NO.1

2012.3.10 NO.1

 

2012.3.10 その1


 


翌朝、私は6時前に起床しました。


高橋さんと一緒に出掛け、なんでもお手伝いできるようにと準備をしていました。


でも、なかなか起きてきません。当然です。前夜遅くまでお酒を付き合ってもらい、相当な量飲んでます。


 高橋さんへの電話で起床されました。新潟の佐渡島より応援に駆け付けてくれていた後藤さんが、雄勝入りし、設営場所の確認をされたのです。


遅くまで一緒に付き合ってくれたお母さんが朝ごはんを準備してくれました。



 


 730 頼雄さんと会場に出発しました。


現地に着くと、すでにレッカー車が設置されています。


観光バスも1台来ていました。東京よりボランティアのチームが20名ほど来ていたのです。


東北放送のTV局も中継車で来ています。


 


後藤さんの炊き出しの場所にテントをボランティアの方々が設営し、私は頼雄さんと「復興支援Tシャツ」で東京から提供された軽トラックに乗り太鼓の道具を雄勝支所へ取りに行きました。



 


9時近くなり一段落していたので、息子達を迎えに行きました。


粉雪とみぞれが混じる天気です。後藤さんの炊き出しの焼き鳥の火にあたりながら息子たちはバスを降ろす準備を見守ります。


 


10時、大型クレーンがバスをゆっくりと上昇させました。


TV局も一斉に撮影やリポートを開始します。吊り上げられたバスはゆっくりと移動を開始し、5分後には地上に降ろされました。



 その後、頼雄さんの同年の神山さん率いる雄勝太鼓が始まりました。寒い中、撮影のため半袖です。


一番大きな太鼓は、震災によるガレキから造られた太鼓で本日初披露でした。


 


冷え切った体を後藤さんの炊き出しの「えび汁」が心まで温めてくれました。



 


後片付けはボランティアの方に任せ、寒がっている息子達を乗せて、仮設商店街「店こ屋」に向かいました。


昼食用に持参した食料があったのですが、せっかくなので軽くお刺身を頂きにお店に入りました。



「店こ屋」では、復興活動に来ている土木関係者をはじめ、昼食が食べれるような定食屋さんや日常品販売のお店、八百屋さん、お土産屋さんなどが入居されています。


隣の建物には、小松葬儀屋さん、雄勝硯協同組合、商工会なども入居しています。



最盛期の人口は
1万人。震災前は4000人。そして今では1000人。高齢者の方が多いため巡回バスが動いていますが、土日祝日は休業のようです。

子供を持つ家庭は、通学できる地区の仮設住宅やアパートを借りて生活しており、学校が再開出来ない雄勝地区には未就学児が少しいるだけという状況なのです。