2011.11.03
冬物衣料等支援物資輸送報告④
冬物衣料等支援物資輸送報告④
<まとめ>
今回が人生で4回目の宮城仙台でした。
1回目は、16~17歳にかけての自転車の旅です。フェリーで帰れることで単純にゴールを仙台に決めた一人旅でした。
2回目は4年前。商工会の仙台での全国大会です。愛知の青年部に大きな決断を下した大会でもありました。
3回目は今年の6月。夏物衣料の支援物資を積込み、家族で被災地を見ました。
そして今回が4回目。冬物衣料他の物資輸送です。今回も家族で行きました。
商工会青年部を通し、全国に友人が出来たのが私の活動の源になっています。
宮城仙台の友人もその1人です。
震災後の彼の日記を私のブログで転載し、現地の生の声をこの地域や私と関わる方に伝えたいという想いが50回を超えるシリーズとなりました。
また、こちらからの支援物資の受入れや視察団の同行・調整など、被災地でもありながら惜しむことなく対応していただきました。
議員団や商工会・青年部など、震災を通し愛知県から彼にお世話になった人はのべ100人以上ではないかと思います。また、東北物産展(品)などの相談にも窓口となっていただきました。
いろいろな面で彼に頼りながらも、間違えなく彼に負担を背負わせているのではないかと心配していました。
でも、彼からは皆さんが東北の事を考えて行動してくれる事が嬉しいし、復興にも繋がると言ってくれたことで救われています。
今回の私の行動は、地元だけでなくみやぎ仙台の青年部員にも火をつけたように思います。
「被災地ではあるけれど、被災者ではない。」のど元過ぎれば・・・ではないですが、宮城県内でも忘れられつつある被災者の現況。
私の物資輸送工程に合わせ、急きょワゴン車1台物資をかき集められたのでしょう。(何も言われませんでしたが。)
今回の冬物衣料等の支援物資についてもいろいろと悩みました。
私も商売をしていることもあり、自立した生活をしていく過程で、被災地の商店の復興の邪魔をしていないだろうかと考えました。
今回物資を届けた石巻雄勝地区では、11/19から仮設商店街の復興祭が予定されています。今回の支援物資の中で 碧海信用金庫さんから提供された水筒(54ヶ)は、復興祭のくじの景品に使ってもらうようにしました。
被災者や被災地区の商店や産業が自立していくための支援がこれからは必要だと思います。そのためには被災地の商店で買い物をすることや、震災の爪痕を含めた東北観光なども有効な手段だと考えます。
復興支援は、いろいろな形があります。
自分の出来る事を可能な範囲で行うこと。ボランティアだったり募金だったり。
一番大事なことは 被災地を忘れない事。
私が組織としての行動ではなく、個人で活動する理由の1つは、子供たちに見せておきたいと考えるからです。被災地であったり、親の背中だったり。
数年後におこるであろう東南海地震の際には、きっとリーダーとして活躍してくれると願っています。
1日も早く東北が復興するように これからも応援していきます。
平成23年11月3日
せきこうじ