2011.05.19
仙台の友人より NO.33
仙台の友人より NO.33
仙台の友人<クボ>さんの 5/18の日記の転載。
「どこまでも」
久々の日記になりました。申し訳ありません。
先週末からお客様への訪問を本格的に行ってました。
お客様の中には被災し避難所生活をされてる方もおられ
避難所から別の場所に移動されている方も。
携帯で連絡が取れる方はいいのですが、そうでない方を
中心に探し方をしてました。
家族経営されていた方が家族全員亡くなられていたり
経営者の方やその家族、従業員が亡くなってしまった会社
理解していたつもりですが
近親者の方からお話を聞くとやはりこみ上げてくるものがあります。
自分が開拓して取引先になって頂いた方々には特に
想い入れも強く、いろんな想いでが蘇ってきます。
生きているのかどうなのか、わからないお客さまもおられ
避難所での情報等を頼りに今も探しています。
被災地域で事業を続けられるのかどうなのかわかりませんが
でも続ける意思がある限り、どこまでも
お付き合いさせていただければ、ありがたい
そんな気持ちでおりました。
話は変わりますが、県の会長をさせていただいた時に
知り合った全国の会長の皆さまにも支援頂いてます。
大阪の前会長からも、被災地域の商品を使いたい方がいるので
紹介しますと連絡を受けました。
愛知の前会長ととまるさんからも同じ内容の話を受けました。
改めて御礼を申し上げます。
できうる限り、御意見に沿った形で
お応えしていきたいと思ってます。
その中で、宮城の三陸地域の商品を使いたいという
お話を受けました。
宮城の全国大会で土産コーナーを担当していたのは
今回津波を受けた、三陸ブロックのメンバーでした。
「できる限りそのメンバーの商品を」という思いがあり
使える連絡手段でそのメンバーに連絡をとりました。
しかし、津波で店舗や工場さらに自宅まで流されてしまった方が
大半で気持ちはありがたいが再建まで時間がかかる趣旨の話ばかりです。
早期復興と思い工場や店舗を再建したくても、今までの場所に
住めない可能性やそこで事業を行えない可能性があり
今は先が見えない状況。
気だけが焦っている。そんな感じをみなさんから受けました。
大手と呼ばれる加工販売をしている会社でさえ
工場再建の目処がつかず、大手百貨店から撤退により店舗縮小が
行われてます。
そういう大手の会社は、自分の直販店舗優先で
商品自体が自分の会社まで回ってこない。
取締役クラスに直接頼み込んで商品提供してもらったりと
今までの流通システムでは考えられないことが起こってます。
通常に戻るまでにはもう少し時間が必要なんだと
とても感じました。
全国の善意に応えられる生産に早く戻さなければいけない。
これからの需要を考えると
県をあげて支援してほしいと感じてました。
今回多くの被災地域の方と話をしていて感じることがあります。
それは、「協働」ということ。
機械は残ったが材料がない。材料の目処は立っているが工場がない。
そのような方達が協力し合って、自社ブランドを守るということ。
企業秘密を教えたくないやメンツを気にしていては
生き残っていくことさえ厳しくなります。
一次生産の分野でも二次産業の分野でも
リスクを分散しながら事業を継続していくことが大切だと感じてます。
働きたいけどこれしかできないんだ。
そんな方達にどうか、生きる希望と勇気を与える
そんな支援を国をあげて行ってください。
先週末からお客様への訪問を本格的に行ってました。
お客様の中には被災し避難所生活をされてる方もおられ
避難所から別の場所に移動されている方も。
携帯で連絡が取れる方はいいのですが、そうでない方を
中心に探し方をしてました。
家族経営されていた方が家族全員亡くなられていたり
経営者の方やその家族、従業員が亡くなってしまった会社
理解していたつもりですが
近親者の方からお話を聞くとやはりこみ上げてくるものがあります。
自分が開拓して取引先になって頂いた方々には特に
想い入れも強く、いろんな想いでが蘇ってきます。
生きているのかどうなのか、わからないお客さまもおられ
避難所での情報等を頼りに今も探しています。
被災地域で事業を続けられるのかどうなのかわかりませんが
でも続ける意思がある限り、どこまでも
お付き合いさせていただければ、ありがたい
そんな気持ちでおりました。
話は変わりますが、県の会長をさせていただいた時に
知り合った全国の会長の皆さまにも支援頂いてます。
大阪の前会長からも、被災地域の商品を使いたい方がいるので
紹介しますと連絡を受けました。
愛知の前会長ととまるさんからも同じ内容の話を受けました。
改めて御礼を申し上げます。
できうる限り、御意見に沿った形で
お応えしていきたいと思ってます。
その中で、宮城の三陸地域の商品を使いたいという
お話を受けました。
宮城の全国大会で土産コーナーを担当していたのは
今回津波を受けた、三陸ブロックのメンバーでした。
「できる限りそのメンバーの商品を」という思いがあり
使える連絡手段でそのメンバーに連絡をとりました。
しかし、津波で店舗や工場さらに自宅まで流されてしまった方が
大半で気持ちはありがたいが再建まで時間がかかる趣旨の話ばかりです。
早期復興と思い工場や店舗を再建したくても、今までの場所に
住めない可能性やそこで事業を行えない可能性があり
今は先が見えない状況。
気だけが焦っている。そんな感じをみなさんから受けました。
大手と呼ばれる加工販売をしている会社でさえ
工場再建の目処がつかず、大手百貨店から撤退により店舗縮小が
行われてます。
そういう大手の会社は、自分の直販店舗優先で
商品自体が自分の会社まで回ってこない。
取締役クラスに直接頼み込んで商品提供してもらったりと
今までの流通システムでは考えられないことが起こってます。
通常に戻るまでにはもう少し時間が必要なんだと
とても感じました。
全国の善意に応えられる生産に早く戻さなければいけない。
これからの需要を考えると
県をあげて支援してほしいと感じてました。
今回多くの被災地域の方と話をしていて感じることがあります。
それは、「協働」ということ。
機械は残ったが材料がない。材料の目処は立っているが工場がない。
そのような方達が協力し合って、自社ブランドを守るということ。
企業秘密を教えたくないやメンツを気にしていては
生き残っていくことさえ厳しくなります。
一次生産の分野でも二次産業の分野でも
リスクを分散しながら事業を継続していくことが大切だと感じてます。
働きたいけどこれしかできないんだ。
そんな方達にどうか、生きる希望と勇気を与える
そんな支援を国をあげて行ってください。