関浩二のブログ「家いろいろ」BLOG

2011.06.20

報告②

報告②

3/17 夕方5時名古屋港に到着。
19時出航の太平洋フェリー「きそ」に18時乗船。
 

港には、仙台に向かう支援物資を積んだ車や建設現場の職人さんの車などが並んでいました。

NPOのグループ。沢山の方が囲んでいましたが、支援物資の量は私の車の半分以下でした。(量ではなく想いなのですよね) 船の中で話を聞こうと思っていましたが、結局当事者が分からず断念。
出航前にレストランがオープンしたので、おじさんと共に会食です。
息子の誕生日祝いも兼ねてのバイキングです。船で酔う前にお酒で酔いました。
大型のフェリーですがやはり揺れて、女房子供は翌日船酔い状態です。元気なのは私のみ。
翌朝、日の出が4:25ということで頑張って起きたのですが、曇天のため朝日を拝めず。2度寝。
13時 福島第1原発の45KM沖を通過。通常の航路よりも大周りしています。そのため携帯も圏外となり通じず。
16時 宮城仙台港へ コンテナ用のクレーンや倉庫も無事そうな様子だったので被害は少なかったのかと思った矢先に

見にくいですが、大型船舶が護岸に乗り上げられていました。
フェリーターミナルに車を降ろすとやはりいろいろな所に津波の傷跡が残っています。
高く積み上げられた鉄くず。車の山。がれきの山々。
震災から100日。道路などのがれきは片づけられていますが、いたるところに山積みの状態。
しばらくすると<クボ>さんが迎えに来てくれました。

かなりのレアな2ショット。
ひさかたぶりの再会です。(クボちゃん ちょっと横に成長したん?) 
その後、車を移動し、クボさんの車にて津波の被害を受けたエリアを案内してもらいました。
仙台東より 仙台東部道路にのり 名取市へ 途中震災当時の様子を話してくれました。
名取市閖上地区。




震災後1本残った倒れた桜の木が開花し 被災した方々への励ましとなりました。

唯一 小高い丘の部分ですが、この丘も津波にのみ込まれました。
震災後100ヵ日ということで建てられたのでしょうか?新しい鳥居が立っていました。
家族そろって亡くなられた方へのご冥福と1日も早い復興をお祈りさせてもらいました。
鳥居奥の山は、がれきの山です。
名取市閖上地区  
震災前の閖上地区。中央部の緑のある部分がこの位置です。
その後 仙台空港に向かいました。
空港を過ぎた所に黒山。
津波により船舶等の油が流出し、それに引火し火の海と化したようです。
黒山の正体は焼けた車でした。
その後、泊まるホテルを案内してもらい、着替え等を降ろし、支援物資の預け先のクボさんのお店の倉庫(みやぎ仙台商工会が休日のため)へ。バケツリレーの要領で物資を降ろしました。