2012.03.13
2012.3.10 NO.2
2012.3.10 NO.2
三陸の海の幸満載の刺身の盛り合わせを頂きました。食べきれないほどの量でした。でも、現地でお金を使うという復興支援の意味も込めて頑張って平らげました。
その後、雄勝に入る手前の大川小学校へ行きました。
(2011.10.31撮影)
生徒の7割が津波により被災された学校で、天災・人災含めて話題に上がる学校です。
校門前の祭壇では、慰問される方の順番待ちの状態です。
数日前に数名の行方不明者の捜索のために川をせき止めて調査が行われたと報道もありました。
その後、仮設住宅に戻りました。粉雪だったのですが、ジャンバーやズボンは濡れているために着替えました。
少し休憩をとり、女川方面へ向かうことにしました。道路の状態が良くないと聞いていました。主要道路は高台に造られているため、ところどころ法面が崩れています。
眼下には、エメラルドグリーンのきれいな海があります。入り江には津波にのみ込まれた集落の跡。複雑な気持ちになります。
女川町は原発があるため、財政が裕福なのか、主要部の片付けも進み、一部では木材類のガレキがチップ状に破砕されていました。
女川を抜け、石巻市内へと進みました。
景色ががらっと変わりました。大きな入り江状になっているため、ここは津波から免れたのです。そして入り江が終ると同時に、また津波の影響が残るエリアに入りました。
石巻中心部では、まだ大型の漁船が陸に打ち上げられ残っていました。
建物も取り壊されたもの、解体途中の物、手つかずの物などがあります。とても1年後の状況とは思えません。仙台に近いほうではかなり除去が進み、ガレキの山も小さくなった感じを受けましたが、石巻ではまだまだこれからという様子でした。
石巻のマンガ館では、全国からの応援メッセージが書かれています。
途中立ち寄ったボーリング場では、震災から再開に向けての写真が展示されており、地元に元気を取り戻すための努力が感じ取れました。現地の中高生も笑顔でした。
河北IC近くの道の駅「上品(じょうぼん)の里」に立ち寄りました。
この地域の特産品やお土産がそろいます。ここでもお土産を購入。
仮設住宅に戻り、高橋頼雄さんの帰りを待ちました。
夕方のTV番組でバスを降ろすシーンが放映されました。
NHKを始め民放4局?新聞社数社取材に来ていましたので、私のフェースブックには全国の友人から放映見たよ!って多くコメントをいただきました。
18時。頼雄さんが戻ってみえ、夕食となりました。
「お疲れ様 乾杯です。」
今回の企画を実行するにあたり、いろいろな調整や取材等におわれていたようです。
ただ、責任は自分で取るって決意されたようで、そこからの行動力はすごいものです。
お酒もたくさん一緒に飲みました。
いろいろな話も聞かせてくれました。
なぜ、今、私がここに来ているか。
その答えは、偶然でもなく、必然だったのでしょう。
運命に導かれたのだと気づきました。