関浩二のブログ「家いろいろ」BLOG

2011.05.13

仙台の友人より no.32

仙台の友人より no.32

 仙台の友人<クボ>さんの 5/11の日記の転載。
「2ヶ月」

東日本大震災より今日で2ヶ月が経ちました。
仕事の合間に荒浜に立ち寄りました。
道はできたものの、瓦礫に覆われたままの景色
そんな景色を見ると、ここで今後暮らしていけるのだろうか
そんな事を感じます。
この2ヶ月、みなさんからの心のこもった支援に
本当に感謝申し上げます。
そして、今後ともよろしくお願いいたします。
最近になって支援も変ってきました。
今日、頂いた電話は、大阪の方でした。
会社で東北復興の為に何かできないかと考えていたそうです。
そんな中、会社の催しで東北の物産品を景品として出したいという依頼でした。
うれしい内容でしたので、協力しますと話しました。
話をしていると、津波の被害を受けた地域の物を使いたいという
強い想いがあるようで、三陸産の海の幸を紹介してほしいとのことでした。
御存じの通り、海岸沿いは大きな被害を受け工場や機械等すべて流され
加工施設等も使えない状況です。
依頼に沿った品物を提供したいという気持ちはあるのですが
肝心な地元の海産物を製造販売している会社が活動してないのです。
国からの融資を利用して、元ある場所で会社を再建しようとしても
再開発ビジョンに照らし合わせての立地になるため
また時間がかかってしまう。
早期再開が、できない。そんな事態になってます。
地震だけの被害であれば問題なかったことも津波の被害という
大きな問題は、なかなか前進できない足かせになっている。
こういう状態がいつまで続くのでしょうか。
昨日、取引先が破産申請をしました。
数年前からのギリギリの状態で仕事を続けていたようですが
今回の震災が引きがねとなったようです。
体力が無い中、長引く再建への道は険しいと感じました。
津波の被害を受けた場所では、人の移動が増えてきました。
リストラにあった方達が働き先を求め県外へ
移動する住人が、増えてきたことにより
その土地で商売していた方が、内陸にテナントを借り
そこで新たに仕事を始めたりと、更に過疎化が進んでいます。
学校再開後も、半分近い生徒が他地域に移動し
生徒も減ったと言っていました。
住めない地域から住まない地域に変ってしまっているようです。
これから先、自分たちができる地域活性化は
何なのだろう。そんな事を思います。
思っていることは数多くあります。
でも、それは地域の方の為になることなのだろうか?
津波の被害に遭われた方と話をすると
頑張りたいけど何もできない、そんな言葉をもらされます。
なんでもいいから、前に進ませてあげてほしい。
そんな事を思う節目の日でした。